河北潟堰堤に植えられた、1,400本の桜。内灘町、金沢市、津幡町と3市町に跨るおよそ約9キロの桜並木は、一人のある女性の思いが行政を動かし、今では県下にほこる桜の見どころとして多くの人の目を楽しませています。
「私の母はまもなく84才、ガンで医科大に入院しています。もう、余命いくばくもありません。毎日、仕事が終わってから看護に通って来ました。母がやがてこの世からいなくなる・・・子供でも夫でもうめられないこの淋しさは、後々、何をささえに生きて行けばいいのか、と、津幡~金沢~内灘への河北潟沿いの道を、車を運転しながら涙の出ない日はありませんでした。母が元気でいるだけで、こんなにもパワーを与えてくれていたのかと、今更ながらに気づいています。今では、自分で食事が出来なくなり、食べてくれれば、1日生きのびるのではと思い、介添えのため、日に三度この道を往復しています。この道は、私の母恋街道になりました・・」
津幡町在住の山本さん。戦争で父を亡くしてお母さまと二人で支えあって生きてきました。そのお母様の最後の願いが「花見がしたい」だったと云います。 もともとこの河北潟の堰堤は、内灘町側に桜が100本程度整備されていただけでしたが、山本さんが金沢市長や内灘、津幡町長に桜の植樹と整備への協力を訴えます。「私の力など微々たるものですが、何かの方法で呼びかければ、最愛の人との別れに、生きるささえを失い、私よりもっと深い悲しみと、耐えがたいつらい思いをしていらっしゃる方は、きっと沢山いらっしゃることと思います。一本の桜の木の成長をささえに、いつか花が咲き、見事な桜並木になることを願って、思いを同じくする人達で植え続けてもいいのでは・・」山本さんの訴えに行政が動き、11月に植樹が始まります。彼女の思いに賛同した市町職員や多くのボランティアが汗をかきました。
それから20年。植えられた桜は立派に成長し、桜並木はいつしか「母恋(ははこい)街道」と呼ばれ、県下に誇る桜の名所となりました。河北潟の新緑の上に広がる薄紅色の桜のトンネル、天国にいるお母さまも笑顔で見ているのではないでしょうか。